ゆあらーと

思い出を残そう

教えること教えられること

ここ最近、後輩の教育係に任命されまして思ったことを書きます。

「わかりました」という言葉は入社したての段階で使わないほうがいいということ。

 

後輩として転職してきた人は前の会社で7~8年務めて転職してきました。これまではシステムにかかわったこともない全くの異業種からの転職です。私の勤務している会社は異業種からの転職を幅広く受け入れているのでそのこと自体は珍しいことでもなく、先輩も周りの人も前職はシステム会社という人はほとんどいません。なので初めのうちは非常に苦労します。Linuxとはデータベースとはシステムとは何ぞやから始まります。ただそれでも何とか少しずつ慣れてきて仕事ができるようなっていきます。

 

さてそんな会社ですが、その人はとても頻繁に「わかりました」と言います。説明がひとまず一通り終わった段階で言うので、こちらとしては「ああ、理解してくれたんだな」と判断して、それ以上の説明はせず仕事を振ります。もちろん教えた範囲の仕事を。後々、仕事ぶりを見ているとぜんぜんわかっていない。全くトンチンカンなことをやっているわけです。笑

 

なので、「大丈夫そう?」と聞くと「ちょっとわかんなくて、、、」となります。なので、そこで改めて説明をして…というのがここ最近何度もあるわけです。初めは、雰囲気つかんでやろうとしたけどちょっと違ったのかな?程度にしか思わかったいのですが、さすがに何度もありすぎるので、そういう癖のある人なのではと思いなおしています。

 

教える立場からすれば、一度説明してわからなければそれは教える側に責任があるし、別の角度から説明をして、なんとか理解してもらおうとしますが、「わかりました」と言われればそれ以上の説明は必要ありません。「わかりました」といったらすべて理解している!と極端なことを言うつもりはないのですが、すこしくらいは理解してできるものだと個人的には思っています。

 

もちろん時にはわかっていないけど「わかりました」と言って後で自分で調べまくって仕事をすることも必要なのかもしれません。立場上「わかりません」なんて言えないこともあるのかもしれません。ただ、新人に限って言えばそんなことは必要ないと思うのです。仕事ができないのは当たり前だし、何より異業種なのでさらにわからないことだらけなのはわかっています。変な見栄も張る必要もありません。

 

わからない中で苦労しながら仕事するよりもわからないことは「わからない」といってきちんと理解したうえで仕事したほうが自分の負担も軽いように思います。もちろん人に教えられたことよりも自分で試行錯誤しながら身に着けた知識・技術のほうが自分の力になることは大いにあるでしょうが…

 

ここまでつらつらと教えられる側について愚痴みたいなこと書きましたが、なんだかんだ言って理解してもらえていないということはやはり教える側にいくらか責任はあるかと思うので、自分の説明についてもう一度見直しをしてみようかと思います。その人に早く仕事できるようになってもらったほうが結果的に自分も楽になりますからね。頑張ります。